2013年御翼5月号その1

前思春期は最後のチャンス

 

 子どもが九〜十二歳までを前思春期と言い、青年期に比べ、親の言うことをよく聞き、親を安心させるようなふるまいもする。また、家族と一緒にいることを好む。この時期に、日々親から愛情に満ちた励ましを受けないと、子どもは数年後には、親が望まない行動をとり、好ましくない人々とつきあい、彼らに愛情を求めたりするようになる。この点で、子どもとの関係をもう一度密なものにする最後のチャンスが「前思春期」なのだ。親の愛情を素直に受け入れるのが、この年代までだからであり、この時期を過ぎると、子どもの心の中で重要性を帯びてくるのは、親よりも同年代の仲間になってしまうからである。前思春期にある子どもが良い子であろうとするのは、親から罰せられたり非難されたりするのが怖いからではなく、両親の心からの愛を感じるからである。もしこの時期に、子ども自身に親の愛情が感じられなかったりするなら、子どもが良い方向へ進もうとする動機づけはほとんど期待できないと考えて良い。
 子どもに必要な親の愛情というのは、言うなれば、無条件の愛とも呼ぶべきものなのだ。前思春期の子どもがさまざまな困難や闘いに耐えて、自分を正しく保とうと固く決心する最も大きな理由となるものは、自分が親に愛されていると確信することである。もし愛されていなかったり、あるいは愛されていると感じられなかったりするなら、子どもは自分を正しく保とうなどとは思わない。子どもを生かすのは、立派な邸宅でも、ぜいたくな食卓でも、きらびやかな洋服でも、あり余るほどの遊び道具でもなく、親の愛情なのだ。どのくらい子どもの言うことに耳を傾けるかによって、愛の深さをはかることもできる。十三歳までのあいだに子どもが親に発する質問の回数は、約五十万回といわれる。創造主は、子どもが青年期に達する前に、このようにして人生のいろいろな疑問に対する答えを学べるようにされたのだ。前思春期というのは、人が生きるうえでの意味や価値観を子どもに教え込むのに最もふさわしい時期である。
 精神科医のジャスティス・S・グリーンは、次のように言っている。「二十五年間臨床に携わっていて、両親が互いに愛し合っているような家庭で、深刻な情緒的な障害が生じたケースを私は見たことがない」と。両親が互いに愛し合っていることを感じつつ、また実際に目の当たりにしながら育つ子は、他のどんな手段によってでも手に入れることのできない安心感、安定感、そして人生の尊さを感じ取ることができるのである。両親が互いに愛し合っていることを知り、愛に満ちたことばが交わされるのを耳にし、両親が実際に愛し合っている姿を目の当たりにして育った子どもは、神の愛がどういうものであるとか、人間の愛がどういうものかとか、また性の神聖さについて、説明する必要は特にない。これに反して、もし親同士愛し合っていることが子どもに感じられなかったり、その愛情表現が乏しく、両親が愛し合っている姿を見ることができなかったりするとき、子どもは友人やテレビ、映画、その他の手段で手に入る情報を頼りに、愛とはどういうものかのイメージづくりをしていかねばならなくなってしまう。
 一方、両親のいさかいを一度も目の当たりにしたことがないという子どももまた、不幸である。そのような子どもは、現実とはかけ離れたイメージをもって結婚や人生をとらえるかもしれない。また、いさかいを起こしても、その後に和解することができ、愛し続けることができるということを、両親から知らされないで育った子も不幸である。そうした子どもは、愛と赦しの意味や、困難に直面した際の解決策など知り得ないだろう。
(ジョン・M・ドレッシャー『小学生の子をもつ親のための六章』より)

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